――徒然なるままに書きしものこそ、物の心や淡にあらむ…
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「『死』を恐れない人間の増殖が目に余るね。『他者の死に土足で関わることのリスク』を省みなかったり、『死ぬことで救われる』という考えが過ぎたカタチで蔓延しているように思う。」
「私の主観的思考から言えば、どちらも単なる“現実逃避”と相違はないわ。」
「客観的思考からは?」
「“他殺”と“自殺”。纏めて“殺人”。それ以上でもそれ以下でもない。」
事情がどうであろうとそれだけだ、と少しも表情を変えずに述べた彼女の言葉に対し、そりゃそうだと彼は笑う。一方で彼は、彼女から「主観」という言葉が出たことからこの議題の終幕を知る。
案の定、彼女は溜め息混じりに言った。
「少し疲れたわ…」
「お茶の続きに切り替えるかい?」
「そうね。“会話”に切り替えましょう。」
彼女はミルクティーに変わったカップの中身をティースプーンでくるくると混ぜた。
切り替えの時は、この一連の言行が二人の間でしばしば行われている。二人の言うところの“会話”とは、真義の究明的確認などを考えずに唯只管に自己の思想を述べるだけのもので、これまで行ってきたのは差し詰め“問答”といったところだが、辞書通りの意味でないのは自明だ。二人もこの“問答”という表現に関してはしっくりきていない。“承認”という言い方もなくはないが、それもニュアンスが少し異なっているように思われる。
そして、この“問答”、非常に「疲れ」るのだ。無論脳や身体の肉体的疲労ではない。どちらかといえば精神的疲労…否、そもそも、疲労と称すのも適当ではない。言ってしまえば、そう「怠惰」なのだ。もっと言えば「うんざり」なのだ。
何の変哲も無い高級マンションの一室で繰り返される“問答”―――当然のことながら、繰り返したところで「セカイ」に影響を与えるわけでもない。ただ自己の内から湧き出る衝動を収めるためだけにある、対象物(者)によって意義の有無が変わるあやふやな言語活動に過ぎない。
「―――意義を求めたところで、所詮は人間の“知る慾”への執念によるものに変わりないわね…」
「虚しそうだね。」
「ええ…とっても。でも、“コレ”をせずにはいられない…人間なんだもの…しなければしないで、逆にストレスが溜まってしまう。そして、何より、もっと惨めな思いになる。」
唐突に勃興する考えをそのまま口にして、理解を得られたことは殆ど皆無だ。大体が「は?」と前触れなき突然の言葉に対する少々の驚きか「そういうものなんだー」と感心とも受け流しともつかない言葉が返ってくるだけだった―――それは、彼女がそういう類のものを聞くとそこではぐらかしてしまうのも要因ではあるのだが。自己の考えをなんの“間”も持たずにすぐに返してくる人は本当に少ない。結果、自他共に気まずい雰囲気や心痛を感じてしまうことの方が多かった。
他人【ひと】の反応が普通であるのは分かっているつもりだが、納得までには至らなかった。そこで、彼女は周囲との会話を“必要最低限”に止めることにした。脳の活動が微々たる活性を示すだけでも、より衝動が起こりやすくなるのを決して多くない経験から知っていた。そしてその鍵刺激となるのが「会話」であることも。ならば受け答え以外の会話をしなければ問題ないはずだと思ったのだ。しかしそれはやがて表面に現れる感情を欠落させることになった。両親がそれに気付いて蒼褪めていたのを傍観していた自分を、彼女は今でも覚えている。
「それを防ぐために、俺は君の両親―――特に君の母を介して君に雇われた。」
彼女の両親はどちらも心理関係の学を修め、父親の方は実業家となり母親の方はカウンセラーの職に就いて今も心理への追及を行っている。
彼もまた、他より少々達観した人物で、遊び仲間はいても決して自らの本来の思考回路で話すことはなかった。話しても「何を言っているんだ?」という見世物小屋を覗き込んでいく輩のような眼で見てきたり、求めていない質問攻めを喰らって面倒なことになったことがあったので、年相応だと思われる思考回路を別に構築して接していた。その方が無難だった。
しかし、別設置された思考回路が動く裏側で、表側に出ることなくエネルギーを殺されて静かに稼動していた、本来のソレが思わぬ形で爆発した。
彼は、場所【ところ】構わず、意味を持った文字の羅列を書き出したのだ。紙類は勿論、机、壁、ガラス窓、床、クローゼットの扉、ベッド、…、果ては浴室やトイレなどなど、本当に場所構わずに、脳内に浮かぶ言葉を現出した瞬間に書き留めていったのだ。今まで押さえつけられていた分のその反動であるかのように…否、間違いなくその反動だった。
母親からは悲鳴の落雷、父親からは縛と時に拳の風雨―――やがて、カウンセラーをしている彼女の母の元へと連れて行かれた。
「私の主観的思考から言えば、どちらも単なる“現実逃避”と相違はないわ。」
「客観的思考からは?」
「“他殺”と“自殺”。纏めて“殺人”。それ以上でもそれ以下でもない。」
事情がどうであろうとそれだけだ、と少しも表情を変えずに述べた彼女の言葉に対し、そりゃそうだと彼は笑う。一方で彼は、彼女から「主観」という言葉が出たことからこの議題の終幕を知る。
案の定、彼女は溜め息混じりに言った。
「少し疲れたわ…」
「お茶の続きに切り替えるかい?」
「そうね。“会話”に切り替えましょう。」
彼女はミルクティーに変わったカップの中身をティースプーンでくるくると混ぜた。
切り替えの時は、この一連の言行が二人の間でしばしば行われている。二人の言うところの“会話”とは、真義の究明的確認などを考えずに唯只管に自己の思想を述べるだけのもので、これまで行ってきたのは差し詰め“問答”といったところだが、辞書通りの意味でないのは自明だ。二人もこの“問答”という表現に関してはしっくりきていない。“承認”という言い方もなくはないが、それもニュアンスが少し異なっているように思われる。
そして、この“問答”、非常に「疲れ」るのだ。無論脳や身体の肉体的疲労ではない。どちらかといえば精神的疲労…否、そもそも、疲労と称すのも適当ではない。言ってしまえば、そう「怠惰」なのだ。もっと言えば「うんざり」なのだ。
何の変哲も無い高級マンションの一室で繰り返される“問答”―――当然のことながら、繰り返したところで「セカイ」に影響を与えるわけでもない。ただ自己の内から湧き出る衝動を収めるためだけにある、対象物(者)によって意義の有無が変わるあやふやな言語活動に過ぎない。
「―――意義を求めたところで、所詮は人間の“知る慾”への執念によるものに変わりないわね…」
「虚しそうだね。」
「ええ…とっても。でも、“コレ”をせずにはいられない…人間なんだもの…しなければしないで、逆にストレスが溜まってしまう。そして、何より、もっと惨めな思いになる。」
唐突に勃興する考えをそのまま口にして、理解を得られたことは殆ど皆無だ。大体が「は?」と前触れなき突然の言葉に対する少々の驚きか「そういうものなんだー」と感心とも受け流しともつかない言葉が返ってくるだけだった―――それは、彼女がそういう類のものを聞くとそこではぐらかしてしまうのも要因ではあるのだが。自己の考えをなんの“間”も持たずにすぐに返してくる人は本当に少ない。結果、自他共に気まずい雰囲気や心痛を感じてしまうことの方が多かった。
他人【ひと】の反応が普通であるのは分かっているつもりだが、納得までには至らなかった。そこで、彼女は周囲との会話を“必要最低限”に止めることにした。脳の活動が微々たる活性を示すだけでも、より衝動が起こりやすくなるのを決して多くない経験から知っていた。そしてその鍵刺激となるのが「会話」であることも。ならば受け答え以外の会話をしなければ問題ないはずだと思ったのだ。しかしそれはやがて表面に現れる感情を欠落させることになった。両親がそれに気付いて蒼褪めていたのを傍観していた自分を、彼女は今でも覚えている。
「それを防ぐために、俺は君の両親―――特に君の母を介して君に雇われた。」
彼女の両親はどちらも心理関係の学を修め、父親の方は実業家となり母親の方はカウンセラーの職に就いて今も心理への追及を行っている。
彼もまた、他より少々達観した人物で、遊び仲間はいても決して自らの本来の思考回路で話すことはなかった。話しても「何を言っているんだ?」という見世物小屋を覗き込んでいく輩のような眼で見てきたり、求めていない質問攻めを喰らって面倒なことになったことがあったので、年相応だと思われる思考回路を別に構築して接していた。その方が無難だった。
しかし、別設置された思考回路が動く裏側で、表側に出ることなくエネルギーを殺されて静かに稼動していた、本来のソレが思わぬ形で爆発した。
彼は、場所【ところ】構わず、意味を持った文字の羅列を書き出したのだ。紙類は勿論、机、壁、ガラス窓、床、クローゼットの扉、ベッド、…、果ては浴室やトイレなどなど、本当に場所構わずに、脳内に浮かぶ言葉を現出した瞬間に書き留めていったのだ。今まで押さえつけられていた分のその反動であるかのように…否、間違いなくその反動だった。
母親からは悲鳴の落雷、父親からは縛と時に拳の風雨―――やがて、カウンセラーをしている彼女の母の元へと連れて行かれた。
To be continued...
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