――徒然なるままに書きしものこそ、物の心や淡にあらむ…
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ある事象に対する答えが、アナタとワタシで異なりを見せるのは、その処理過程、すなわち思考プロセスの異なりによることなのは明白でしょう。それは、アナタとワタシとにおける、生きてきた時間、環境、過程といったそれぞれの因子の異なりでもあります。
しかし、ワタシはアナタの思考や行動パターンを予測はしても、トレースすることはしません。そうすることで、アナタをワタシのものにできますか?
“ワタシのものにする”ということは、ワタシの所有物とする、という意味ではありません。もっと概念的なことですが、現在それを記号化、即ち言語化するに相応しい言葉は存在しません。そう、近い言葉を言えば、“瞼裏に灼き付ける”という言葉でしょう。しかし、これでは補いきれない要素が此れにはあります。
話を戻しましょう。
逆を言えば、アナタはワタシの思考をトレースすることでワタシをアナタのものにできますか?
答えは「NO」です。
ソレは飽くまでアナタの中で構築されアナタがワタシと名付けた空想の思念体に過ぎません。
ワタシはまた、ワタシをアウトプットすることを望みません。
そうすることのメリットは何ですか?
思考の共有? 共感? 仲間意識の構築? 他者から理解?
どれも微々たるものに過ぎません。
すべては、やがては失われていくものなのです。
得たところで残りはしません。
残るのは、記憶という脳の一部を占有する不確かなデータのみです。
表出されたデータに価値はありません。
価値があると判断するのは、アナタがワタシとは違う別の思念体であり、ワタシを知らないからです。しかしながら、そのデータを拾ったところで、アナタは今のワタシを知るわけではないのです。なぜなら、表出されたデータは、飽くまでワタシの中で不要なものであり、過去の産物なのです。
よって、ワタシの思考を覗かない限り、アナタがワタシを理解することなど甚だありえない、そう、いわば“奇跡”なのです。
しかし、ワタシはアナタの思考や行動パターンを予測はしても、トレースすることはしません。そうすることで、アナタをワタシのものにできますか?
“ワタシのものにする”ということは、ワタシの所有物とする、という意味ではありません。もっと概念的なことですが、現在それを記号化、即ち言語化するに相応しい言葉は存在しません。そう、近い言葉を言えば、“瞼裏に灼き付ける”という言葉でしょう。しかし、これでは補いきれない要素が此れにはあります。
話を戻しましょう。
逆を言えば、アナタはワタシの思考をトレースすることでワタシをアナタのものにできますか?
答えは「NO」です。
ソレは飽くまでアナタの中で構築されアナタがワタシと名付けた空想の思念体に過ぎません。
ワタシはまた、ワタシをアウトプットすることを望みません。
そうすることのメリットは何ですか?
思考の共有? 共感? 仲間意識の構築? 他者から理解?
どれも微々たるものに過ぎません。
すべては、やがては失われていくものなのです。
得たところで残りはしません。
残るのは、記憶という脳の一部を占有する不確かなデータのみです。
表出されたデータに価値はありません。
価値があると判断するのは、アナタがワタシとは違う別の思念体であり、ワタシを知らないからです。しかしながら、そのデータを拾ったところで、アナタは今のワタシを知るわけではないのです。なぜなら、表出されたデータは、飽くまでワタシの中で不要なものであり、過去の産物なのです。
よって、ワタシの思考を覗かない限り、アナタがワタシを理解することなど甚だありえない、そう、いわば“奇跡”なのです。
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