――徒然なるままに書きしものこそ、物の心や淡にあらむ…
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あけて十日目の今日は鏡開き―― あけまして 寒中御見舞い申し上げます。年初めから相変わらず更新なくてすみません。
年明けて一発目は、弓道ネタです。
何が解禁かといいますと、前置きが長くなりますが―――
部活のオフは昨年12月15日に始まり、今年2月末までです。“部活”としてはオフ=休みですが、弓道部に所属する個人個人にとって、オフは力を蓄え調整する期間であって、けっして休みということではないんですね。中には弓道に熱くない方もいらっしゃるので、誰もがそう考えているわけではありません。ある人にとっては部活のない嬉しい期間、ある人にとっては大事な調整期間なわけです。
私は弓道なくして生きていけない人間ですから、無論このオフは大事な時期です。
その大事な時期入って3日後、部活動禁止令が出ました。
あ、弓道部だけにではないです。全部活・全生徒に構内活動・校外活動・バイト(特に医療機関での)を禁止されたのです。
原因は、麻疹。
お隣の付属病院で流行ってたんですが、そこから持ち込まれちゃったんですね; 何人か感染してしまい、アウトとなったわけです。
ついでに言ってしまうと、付属病院で流行ってたのは麻疹だけではなく、ノロウイルスもあったようで…大丈夫かな、お隣…。
話は戻しまして。
禁止令が出たと知った瞬間、「マジかよッΣ(◎Д◎;)」と慌てましたよ。これといって冬休みの課題もなく、バイトもだやってないのでそろそろ4月の新勧活動に向けてお金を貯めようと履歴書を書いてもってこうと
考えてて、「この年末は弓道とバイトに明け暮れよう!」と思っていた矢先でしたから。
取り敢えず、年明けの4日に禁止令を解除するかどうかを判断するということでしたが……暇過ぎて辛かったです…何にもヤル気が出ず、年明けの生理学の試験勉もする気にならず…。家の中で和服と弽【ゆがけ】を眺めては溜息を吐く日々…。
そうして待ちに待った、先週の4日。
解除されました!!
知った瞬間に道場行きましたよ、本当に。当然じゃないですかぁ~!
予定があったので、車で行って、学生用駐車場に車を置いて、弓道場へ歩いて……もう、道場に近付くにつれて空気すら懐かしい気持ちでした(笑)
主将が既に来られていて年末の安土整備後の新しい射位と本座を測っていかれた後でしたので、一番乗りではなかったですが、道場の鍵を開け、女子更衣室に置かれている愛弓・愛矢を3~4週間ぶりに見た時の嬉しさといったらありません!
おまけに安土はオフ中の整備で以前とは比べ物にならないほど美しく質がよい――至福とはこの事です。
早速50射ほど引きましたが、やはり3~4週間のブランクは大きいですね。
私が現在愛用している弓は13kgなのですが、重くて引ききれず会もロクに持てませんでした。中りはあっても、会がなければ単なる「弓術」ですから。参段として恥ずかしいものです。
そんな状態でしたが、翌日の5日には、13日の三十三間堂通し矢に向けて遠的練習を市の道場で、6日には一般の新年射会を同じく市の道場であり、行ってきました。
遠的は初めてでしたが、やっていく内に距離感を掴める様になりました。が、やはり会が無い。
新年射会は、一般の弓引きさんと引くこと自体初めてで、緊張しましたが、「余興」というだけあって和やかでした。試合としては10射引きましたが結果は2中。そしてやはり会が無い。他の先輩も、4位に食い込む方もいらっしゃいましたが、殆どが2中だったり1中だったりでした。ここ数年で強豪校の仲間入りをして東海地区医療系大学で敵なしのH医ですが、ブランクはやはり大きかったです。
今は、やはり本調子ではありませんが、三月の県下学生弓道大会に向けて、また上の団体入りができるように、早く尚且つ丁寧に、射に磨きをかけたいと思います。
●今年の目標● 弓道編
・参段としての品を身につける
・公式戦・交流戦全ての団体入りと優勝
・個人入賞
年明けて一発目は、弓道ネタです。
何が解禁かといいますと、前置きが長くなりますが―――
部活のオフは昨年12月15日に始まり、今年2月末までです。“部活”としてはオフ=休みですが、弓道部に所属する個人個人にとって、オフは力を蓄え調整する期間であって、けっして休みということではないんですね。中には弓道に熱くない方もいらっしゃるので、誰もがそう考えているわけではありません。ある人にとっては部活のない嬉しい期間、ある人にとっては大事な調整期間なわけです。
私は弓道なくして生きていけない人間ですから、無論このオフは大事な時期です。
その大事な時期入って3日後、部活動禁止令が出ました。
あ、弓道部だけにではないです。全部活・全生徒に構内活動・校外活動・バイト(特に医療機関での)を禁止されたのです。
原因は、麻疹。
お隣の付属病院で流行ってたんですが、そこから持ち込まれちゃったんですね; 何人か感染してしまい、アウトとなったわけです。
ついでに言ってしまうと、付属病院で流行ってたのは麻疹だけではなく、ノロウイルスもあったようで…大丈夫かな、お隣…。
話は戻しまして。
禁止令が出たと知った瞬間、「マジかよッΣ(◎Д◎;)」と慌てましたよ。これといって冬休みの課題もなく、バイトもだやってないのでそろそろ4月の新勧活動に向けてお金を貯めようと履歴書を書いてもってこうと
考えてて、「この年末は弓道とバイトに明け暮れよう!」と思っていた矢先でしたから。
取り敢えず、年明けの4日に禁止令を解除するかどうかを判断するということでしたが……暇過ぎて辛かったです…何にもヤル気が出ず、年明けの生理学の試験勉もする気にならず…。家の中で和服と弽【ゆがけ】を眺めては溜息を吐く日々…。
そうして待ちに待った、先週の4日。
解除されました!!
知った瞬間に道場行きましたよ、本当に。当然じゃないですかぁ~!
予定があったので、車で行って、学生用駐車場に車を置いて、弓道場へ歩いて……もう、道場に近付くにつれて空気すら懐かしい気持ちでした(笑)
主将が既に来られていて年末の安土整備後の新しい射位と本座を測っていかれた後でしたので、一番乗りではなかったですが、道場の鍵を開け、女子更衣室に置かれている愛弓・愛矢を3~4週間ぶりに見た時の嬉しさといったらありません!
おまけに安土はオフ中の整備で以前とは比べ物にならないほど美しく質がよい――至福とはこの事です。
早速50射ほど引きましたが、やはり3~4週間のブランクは大きいですね。
私が現在愛用している弓は13kgなのですが、重くて引ききれず会もロクに持てませんでした。中りはあっても、会がなければ単なる「弓術」ですから。参段として恥ずかしいものです。
そんな状態でしたが、翌日の5日には、13日の三十三間堂通し矢に向けて遠的練習を市の道場で、6日には一般の新年射会を同じく市の道場であり、行ってきました。
遠的は初めてでしたが、やっていく内に距離感を掴める様になりました。が、やはり会が無い。
新年射会は、一般の弓引きさんと引くこと自体初めてで、緊張しましたが、「余興」というだけあって和やかでした。試合としては10射引きましたが結果は2中。そしてやはり会が無い。他の先輩も、4位に食い込む方もいらっしゃいましたが、殆どが2中だったり1中だったりでした。ここ数年で強豪校の仲間入りをして東海地区医療系大学で敵なしのH医ですが、ブランクはやはり大きかったです。
今は、やはり本調子ではありませんが、三月の県下学生弓道大会に向けて、また上の団体入りができるように、早く尚且つ丁寧に、射に磨きをかけたいと思います。
●今年の目標● 弓道編
・参段としての品を身につける
・公式戦・交流戦全ての団体入りと優勝
・個人入賞
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共に堕ちてください――などとは言いません
でも、せめて、
私の逝く後ろ姿を 憐れみと共に見送ってください
それだけで 私は救われた気持ちになれるんです
でも、せめて、
私の逝く後ろ姿を 憐れみと共に見送ってください
それだけで 私は救われた気持ちになれるんです
形にしておきたいモノがあるからこそ
僕らは 遺すんだ
単なるデータという情報・パソコン内の暗号記号ではなく
現実世界に 現物として
僕らは 遺すんだ
単なるデータという情報・パソコン内の暗号記号ではなく
現実世界に 現物として
2007年は嵐のように去って行きました。
一月は、予備校、センター試験。
二月は、面接練習、私立大入試、一般入試前期。
三月は、受かったり落とされたりして、卒業式があり、一般入試後期でなんとか合格。
四月は、入学式に、大学の新歓活動に圧倒され、再び弓道部に入り、いつの間にか授業が開始。
五月は、高校に顔出したり、翌日富士急に連れてかれたり。
六月は、大学に入って初めての大会に団体入りして、以降全ての公式戦・交流戦の団体に出させてもらってました。
七月は、高校生よりも短い夏休みで、初めての看護実習があり、その合間の山梨大戦でウォッカの原液を飲まされ、帰りのバスでは現主将と先々代主将と弓道についてお話ししてました。
八月は、西看一色の中、五月に入校した車校を卒業し、西看後に免許取得。他にも、色々。
九月は、試験期間でほぼ徹夜でファミレスに籠もってましたが、努力空しく解剖学と生理学は惨敗。色々なことが重なって、情緒不安定。十年ぶりに人前で泣きました。
十月は、久々の部内試合があって、翌日十代最後の歳に。医大祭に向けて、練習がスタート。幹部交代コンパをもって、新歓係に就任。
十一月は、忙しくもあったし楽しくもあった医大祭、年内最後の公式戦・東海医歯薬は、男子は優勝、女子は準優勝。あと、第二回解剖学実習。
十二月は、十二月になっても第三週まで毎週試合が。でもメリハリがあった日々。しかし麻疹が付属病院から大学へお出でませ――力を養うのに大事なオフシーズンが、部活動禁止により潰れ、暇な日々。鍋会やら友人と女二人で担々麺食べたり。
そんな風に、過ぎて行きました。
泣いたり笑ったり悩んだり照れたり…いろいろと凝縮した一年でした。
一月は、予備校、センター試験。
二月は、面接練習、私立大入試、一般入試前期。
三月は、受かったり落とされたりして、卒業式があり、一般入試後期でなんとか合格。
四月は、入学式に、大学の新歓活動に圧倒され、再び弓道部に入り、いつの間にか授業が開始。
五月は、高校に顔出したり、翌日富士急に連れてかれたり。
六月は、大学に入って初めての大会に団体入りして、以降全ての公式戦・交流戦の団体に出させてもらってました。
七月は、高校生よりも短い夏休みで、初めての看護実習があり、その合間の山梨大戦でウォッカの原液を飲まされ、帰りのバスでは現主将と先々代主将と弓道についてお話ししてました。
八月は、西看一色の中、五月に入校した車校を卒業し、西看後に免許取得。他にも、色々。
九月は、試験期間でほぼ徹夜でファミレスに籠もってましたが、努力空しく解剖学と生理学は惨敗。色々なことが重なって、情緒不安定。十年ぶりに人前で泣きました。
十月は、久々の部内試合があって、翌日十代最後の歳に。医大祭に向けて、練習がスタート。幹部交代コンパをもって、新歓係に就任。
十一月は、忙しくもあったし楽しくもあった医大祭、年内最後の公式戦・東海医歯薬は、男子は優勝、女子は準優勝。あと、第二回解剖学実習。
十二月は、十二月になっても第三週まで毎週試合が。でもメリハリがあった日々。しかし麻疹が付属病院から大学へお出でませ――力を養うのに大事なオフシーズンが、部活動禁止により潰れ、暇な日々。鍋会やら友人と女二人で担々麺食べたり。
そんな風に、過ぎて行きました。
泣いたり笑ったり悩んだり照れたり…いろいろと凝縮した一年でした。
明け夢ならば いつまでも此の眼【まなこ】に留めておこう
朱夢に染まるならば 現さえ幻に還そう
空け夢の彼方に埋もれゆくならば 黄昏の心底へ往こう
明かき天穹の緋色に凪げた風が やがて再び駆け巡れるように
朱夢に染まるならば 現さえ幻に還そう
空け夢の彼方に埋もれゆくならば 黄昏の心底へ往こう
明かき天穹の緋色に凪げた風が やがて再び駆け巡れるように